Against All GRAVITY閉幕

 Mr.Childrenのドームツアー「Against All GRAVITY」が本日の沖縄公演2日目をもって終了した。僕はこのツアーの初日、福岡公演に参加した。ただ、以前のブログに書いたように、僕はこのツアーに対してあまり参加したい気持ちにならなかった。「重力と呼吸」ツアーがいまいちだったのもある。12回も行ったこともある。それでも、参加したのは妻が行きたいと言ったからである。妻は僕の影響を受けて、ミスチルを好きになり、ライブに行った回数は勿論僕より少ない。半ば付き合いのような感じで参加した。

 

 ヤフオクドームでのライブにあまり行きたくならないのは、毎回、座席がとてつもなく遠いからである。まるで狙ったかのように、スタンドの最後方に近いところになる。しかも正面。横でも斜めでもなく。なぜ、いつも同じような席なのだろうか。何か抽選のパターンでもあるのだろうか。僕には知る由もないし、調べようという気にもならない。ただ、一度だけ、スタンディングのエリアを設けたツアーではスタンディングエリアが当たったことがある。開演までの待ち時間がかなりきつかったが、初めてメンバーの表情が確認できるくらいの近さでとても嬉しかったのを今でも覚えている。

 

 さて、ライブの中身の話だ。今回のツアーはあまり乗り気にはならなかったものの、行ったら行ったで勿論しっかり楽しんだ。それは楽しみ方を知っているからである。予想外の「Starting Over」は嬉しかったし、定番の「Dance Dance Dance」や「innocent world」も満喫した。「海にて、心は裸になりたがる」は今後、ライブの定番となっていくかもしれない勢いを感じた。しかし、それは「いつもの楽しみ」なのである。驚きのある、新鮮な楽しみではなかった。これは何に起因するのだろうかと考えたときに、僕のミスチルを見る、聞く目や耳が冷めてきているのもある。それ以上に大きいのは、僕の考えとして、小林武史との別離が大きいのではないかと思う。
小林武史という天才音楽家と離れ、自分たちの本当にやりたい音楽を追求した「Reflection」は新鮮で素晴らしい作品だった。しかしながら、「重力と呼吸」は行き詰まった感じがある。そして、今回のツアーも。
 新しいライブアレンジがなかったのだ。見る者の予想を覆し、鳥肌を立たせるようなライブアレンジが―。「エソラ」のライブアレンジを最初に聴いたときの衝撃―。あのような衝撃が再び欲しい。

 

 ライブの終盤に桜井さんが言っていたが、メンバーはツアー終了後、ロンドンにレコーディングに行くらしい。僕はそこまで熱心にミスチルの活動を追ってきた訳でもないが、ミスチルが海外でレコーディングしたのは「深海」のときくらいしか思いつかない。
 何故、海外に行くのか。おそらく、新しいものを求めて、自分たちの更なる可能性を探しに行くのではないかと思う。ロンドンに行けば、何かが見つかるかもしれない、そんな期待を胸に渡航するのではないかと思う。
さて、ライブの終盤と言えば、桜井さんは以下のようなことを語っていた。
 「僕が朝一番に起きてすることは、インターネットのニュースを見ることで、そこで僕の目に飛び込んでくるニュースは、誰々が亡くなったとか、誰々が病気になったとかそういうニュースばかりです。自分もいつまでこうして歌っていられるかわからない。本当にこうやってライブに来てくれてありがとう」
 このような話は、25周年ツアーのときも「1999年、夏、沖縄」の最中に語っていた。あれは2年前のことだが、近年の桜井さんは常に死の恐怖、病の恐怖、そして、音楽をいつまで続けられるかという恐怖に怯えている感じを受ける。確かに、桜井さんのような歌い方は歳を重ねてできるものではないだろうと思う。ライブではキーを下げて歌うことも多くなったし、声の調子が良くないときもある。常に不安と闘っているのかもしれない。
 そして、そんな桜井さんの現在の心情を吐露したのが「皮膚呼吸」だ。これまで人生を無我夢中で駆け抜けてきて、それなりに地位も名誉も手に入れた。でも、まだ自分にはやりたいことがあるんだ、まだ成長したいんだ、だから、必死に生きていくんだ、そのような思いが感じ取れる曲だ。僕はこの曲をこれまで何度聴いたかわからないし、聴く度に涙が溢れ出そうになる。ライブで歌われたこの曲は、CDよりも遙かに桜井さんの思いが伝わってくる本当に素晴らしいものだった。

 

 話があちこちに飛び、結局、ライブが良かったのか悪かったのかわからないが、今一つだけ言えることは、ライブDVDは購入するということだ。それは「皮膚呼吸」を聴きたいからに他ならない。