国葬近づく

 安倍元総理の国葬が近づいている。自民党の議員や地方自治体の首長、諸外国の要人などが参列し、27日(火)に実施される予定だ。

 国葬の実施にあたっては、あの衝撃的な事件の直後から検討されるようになったと記憶している。随分早いものだと思ったが、正直なところ、在任期間が長いとは言え、評価の分かれる政治家であるため、実施にあたっては、慎重に議論を重ねるものだと思っていた。そもそも、政治家の評価というのは時の洗礼を受けなければならない。安倍元総理の功績を評価をするにはまだ早すぎる。「人の話を聞くのが得意だ」とアピールしていた岸田総理のことだから、各方面の意見を聞いたうえで、判断するのだろうと思っていた。

 

 しかし、岸田総理はいとも簡単に決定した。これには驚いた。早い決断は政治家として時に必要なものだが、このような案件はもう少し慎重に判断しても良かったのではないかと思う。早い決断の理由は、安倍派に対する配慮なのかもしれないし、決断力があるところを見せたかったのかもしれない。そして、銃撃事件後もしばらく途切れることのなかった現場への多くの献花を見て、国民の支持を得ることができると思ったのだろう。

 

 しかし、事態はおそらく総理が予期していた方向とは異なる方向に進んだ。国葬の費用、旧統一教会との関わりが明るみになる中で、マスコミのネガティヴキャンペーンが増え、多くの人が否定的になっていった。外交の場とも言われる国葬において、主要国首脳の不参加も明らかになっていった。

 

 そして、昨日のニュースでカナダの首相が参列を取りやめたことが発表された。理由は、災害復旧対応としているが、主要国のトップがほぼ参加しない状況を鑑み、参加しなくても良いと判断したのだろう。主要国のトップがほぼ参列した先日のエリザベス女王国葬と比較すると何とも寂しいものがある。

 

 僕自身の考えを述べれば、どちらでも良いというか、国葬をすること事態にあまり興味がない。安倍元総理は在任中、いくつかの成果を上げたと思うが、これまでに国葬が実施された人物と比べると、小物感はある。おそらく、諸外国もそう考えているため、トップを出すまでもないと判断したのだろう。

 

 昨年のオリンピック同様、歓迎されない中でのイベントは関係者にとって何ともやりにくいものだろうが、内輪の事情だけでなく、周囲の反応や声を読みながら、物事を進めていくということはとても大事なことだと改めて思った一件だった。

 

不登校生の増加と学級という組織

 全国のほとんどの学校で2学期(あるいは前期後半というのだろうか)が始まったと思う。僕が勤める学校も8月下旬に登校が再開された。

 

 ところで、夏休み明けのこの時期は近年、明るい話題よりも暗い話題が多い。毎年のように、日本のどこかで児童生徒の自死があるからである。児童生徒の自死数は、一年間のうち、この時期が最も多いのだという。約一か月、学校に行っていない児童生徒が再び学校に、教室という空間に行くことに恐怖を覚えるからである。親からすれば、自分の子どもが自死を選ぶということは、言葉にならないくらい悲しいことであるが、子どもの気持ちもわからなくもない。僕も中学生のときは似たような気持があったからである。そのくらい、教室という空間には特別な空気がある。

 また、自死まではいかないまでも、夏休み明けに不登校になるパターンもある。実際、僕が勤める学校でも、夏休み明け以降、欠席数が増えた。これは勿論、自分の学校に限ったことではなく、日本全国の学校に見られる傾向であろう。

 

 近年、不登校に対して寛容な空気が生まれ、学校に(又は教室に)戻らなくてもいいという風潮になってきた。このような流れは僕としては歓迎すべきものであるのだが、毎年増加の一途をたどる不登校児童生徒の割合を見ていると、学校の、少なくとも学級というシステムは時代にマッチしていないのではないかと思えてきた。

 

 もし、学級という組織を作らなければ、不登校生は劇的に減少するのではないかー僕はたまにそう思うことがある。

 勿論、学級に対して帰属意識をもっている児童生徒も多く、学級の団結力や絆が子供の成長に寄与している部分はある。しかし、集団に馴染めない、周囲のことが気になる子供にとっては学級という空間は相当居心地が悪く、ストレスが溜まる場になるだろうとも思う。そもそも、1学級を40人(又は35人)とし、一斉に授業するスタイルが現代という時代にそぐわないことは多くの識者が語っている。僕自身も久しぶりに学校現場に復帰してみて、「主体的•対話的で深い学び」を実現するには、40人学級では到底無理だろうと思う。

 だから思い切って、学級という組織をなくし、もっと自由に、気楽に子供たちが学校に通うことができたらと思うが、そのための良い案というのはそう簡単には思い浮かばない。

 

 「学校って何のために行くの?」ー昔から多くの子どもが疑問に思ってきたことである。多くの人は「勉強するため」という答えを返すが、僕は子供に聞かれたら、「社会性を身に付けるため」と返してきた。勉強だけなら学校に通わなくても一人でできる。むしろ、一人の方が効率が良い。では、なぜわざわざ集団の中で生活するのかというと、世の中にはいろいろな人間がいることを知り、いろいろな人間とそれなりにうまくやっていくことを学ばなければならないからである。それが社会に出てから必要な力である。僕はずっとこう思ってきた。

 しかし、コロナ禍もあり、日本人の働き方は変わってきた。これまでのように、職場で集団で仕事をするということは今後、ますます減っていくのかもしれない。自宅にいながら、PC等を使って個人で仕事をすることがもっと増えるのかもしれない。そうなったときに、子どものときにわざわざ、教室という息苦しい空間に通うことの意味って何なのだろうかと思う。

 

 もしかしたら将来、学校に通うことも選択制になり、今よりもっと自由な学びがなされるかもしれない。そうなるには多くの人と労力と莫大な予算が必要になるのであるが、少しずつでも変わっていくことを願う。というか僕はそういう仕事に携わりたい。学校という制度は、世の中の変化に比べ、昔とほぼ変化のない原風景のようなシステムなのだ。

予期したより早い栄冠

 第104回全国高等学校野球選手権大会において、仙台育英高校が初優勝を果たした。

 宮城県初、東北勢初の優勝ということで、例年以上に祝福ムードとなっている。

 大阪桐蔭智弁和歌山などの、ある程度優勝が予想されていた学校が優勝していれば、同じような状況にはなっていないだろう。やはり、「初」というのはインパクトが大きい。

 

 さて、仙台育英の優勝にあたって、須江監督に関する記事も多く見るようになった。指導方針や育成方法に書かれたものが多く、併せて、優勝監督インタビューも話題になっている。記事に対するコメントも見ていても、概ね好意的なものが多く、批判はさほど見当たらない。須江監督の人間性や指導方針を評価するものが多い。

 

 須江監督は、現在監督就任5年目である。監督就任から5年で甲子園制覇というのは、長い甲子園の歴史の中でもそんなにいないのではなかろうかと思う。おそらく、須江監督自身も、甲子園制覇という目標はあったと思うが、こんなに早く達成できるとは思ってはいなかっただろう。

 僕は以前の記事において、仙台育英の今後の躍進を書いていた。

 

raskolnikov.hatenablog.com

 

raskolnikov.hatenablog.com

 

 須江監督は、仙台育英高校の監督に就任する前、中等部の監督をしており、中学野球の世界においても見事全国制覇を果たした。僕は須江監督が中学の指導をしているときから、着実に結果を残す須江監督の指導方法に注目しており、高校の監督に就任したとき、数年後には甲子園制覇を成し遂げるだろうと思っていた。ただ、こんなに早いとはさすがに思っていなかった。

 

 ところで、甲子園大会のような短期のトーナメント戦においては、普段の実力どおりの結果とならないことが多い。僕自身の経験からもそう思うが、短期のトーナメント戦を勝ち抜くには、勿論ある程度のチーム力も必要であるが、それ以上に必要なのは、「勢い」である。「勢い」は実力を上回る。そして、「勢い」の源泉はチームが一丸となっているかである。「この監督のもとで、この仲間たちと戦いたい」ー選手たちがそう思っていることが「勢い」につながる。つまり、逆に言えば、いくら実力があっても、監督が信頼されていなかったり、選手がまとまっていなければ良い結果は生まれない。野球に限らず、集団とはそのようなものである。だからこそ、チームづくりにおいて、技術指導に加え、選手に一体感を持たせることが大切なのである。

 そうは言っても、これがなかなか難しい。監督と選手の相性もあるし、選手同士の相性もあるので、毎年同じような雰囲気のチームを作るのはほぼ不可能に近い。「今年の雰囲気は良かった」、「昨年の方が良かった」などの声を聞くことがあるのも当然だ。仙台育英が今年栄冠を手にしたのも、チームの雰囲気が良かったことも推測されるし、それに、大阪桐蔭智弁和歌山などの強豪校が敗退したのも大きいと思う。大きな結果を成し遂げられるときというのは、実力の他、運も味方をしてくれるものだ。いろいろなことが重なり、大きな結果が出たのだろう。そして勿論、須江監督自身が、自分のやり方がいつか必ず成功することを信じ、地道に努力を続けてきたことが何より大きい要因だろう。

 

 野球に限らず、年代に限らず、スポーツは、いや、組織の成長は全てリーダーの資質にかかっている。謙虚な姿勢であらゆるものから学び取り、地道な努力を続け、時には大胆な判断により周囲を動かすーそのようなリーダーがいれば、その組織は素晴らしい集団になる。須江監督はまさにそのような人だと思う。自身の高校時代はレギュラーでなく、学生コーチだったことが須江監督の指導の原点だったことも多くの記事で書かれている。人生の逆境のバネにした成功例である。人生、良いときもあれば、悪いときもある。悪いときは苦しみに耐え、いつか花が開くと信じ、地道に努力を重ねていかなければならないときもある。それを教えてくれた今回の快挙だった。

 

 須江監督、仙台育英高校の選手並びに関係者の方々、宮城県の皆さん、東北地方の方々、本当におめでとうございます。

安倍元総理狙撃事件の衝撃

 令和4年7月8日(金)、安倍元総理が奈良市内で演説中に狙撃された。これを書いている時点では「心肺停止」という報道だが、それは概ね「死亡」を意味する。我が国において、大物政治家が狙撃されることは明治~昭和戦前期においてしばしば起きていたが、この令和の時代に起きるというのは異常としか言いようがない。ロシアによるウクライナ侵攻も帝国主義時代のような出来事であるが、この事件もまた、時代を100年以上遡ったかのような事件である。ウクライナ侵攻と今回の事件は全く関係のないものであるが、不穏な時代になってきていると思わざるを得ない。

 

 僕が事件の一報を聞いて真っ先に思い浮かべたのは、板垣退助である。板垣は明治15年岐阜県にて演説を終えた後、刃物で刺された。また、その外にも明治42年伊藤博文、大正10年に原敬昭和5年浜口雄幸昭和7年犬養毅などの大物政治家が凶弾に斃れた(浜口は狙撃の翌年に死亡)。特に昭和に入ってからは、一部の軍人の意向と異なった政策をしようとした政治家はテロの標的となった。昭和戦前期の迷走を象徴する流れである。

 

 安倍元総理は、我が国の歴代総理の中で最長の在任期間を誇る。この記録は早々破られないであろう。その期間、様々な政策を実行したが、特に在任末期は評判の悪いものが多かったように思う。未だ、グレーな部分を残しているものが多く、後世の歴史家が安倍政権期をプラスに評価することはないかもしれない。国家レベルで見れば、大仕事をした感じはあるが、国民個人レベルでは、納得がいかない政策や手法が多かったと思う。今回の事件を起こした者が、何を思って元総理を狙撃したのか現段階で明らかになっていないが、個人的な恨みを感じていた可能性はある。はたまた、単に有名人を狙撃することでヒーローになりたかっただけかもしれない。

 

 近年、現代は「予測不可能な時代」や「先の見えない時代」であると言われる。僕はそういう言葉を耳にしたとき、それは今に限ったことではなく、いつの時代もそうだったじゃないかと思う。逆に言えば、予測が可能な時代なんてあったか?と思う。自然災害はいつ起こるかわからないし、未知のウイルスもいつ発生するかわからない。近年、たまたまそういうことが続いているだけで、それは今に限ったことじゃないだろうと思っていた。そういう言葉を盛んにマスコミや識者が言うことで人々の不安を煽っているだけだろうと思っていた。

 確かに、中国の台頭とともに世界情勢は不安定なものとなってきており、科学技術の発展は我々の生活を大きく変えてきている。また、日本の物価は上昇を続け、貧しい国になってきている。安定した職に就き、給料を貰って、子供を育て、家を買い、老後を迎えるだけの時代は終わったのかもしれない。

 そんな時代に自分ができることは自己防衛である。惰性で生きずに、積極的に情報を収集し、自己実現、資産形成をしていく。それを着実にしている者こそが将来生き延びることができるのかもしれない。

<ネタバレあり>30周年記念ツアー参加記

 Mr.Childrenのデビュー30周年記念ツアー「半世紀へのエントランス」の初日に参加した。チケットの入手は困難かと思われたが、意外にあっさり入手でき、そして、周囲の協力もあり、ライブに集中できる環境をつくることができた。

 

 思えば、オープニングが最高だった20周年のときには参加できず、熊本で開催された25周年がかなり満足度が高く、そして、コロナ禍の中での数年ぶりのライブということもあり、今回のライブにはかなり期待していた。しかし、結果的に言えば、いろいろな意味でその期待を上回ることはなく、下回るものだった。

 以下にライブについて記すが、内容についても触れているため、見たくない人は見ないでいただきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最も楽しみにしていたオープニング。先にも書いた20周年のエソラのオープニングは映像で見ても鳥肌が立ったし、いろいろな曲のイントロが流れる25周年のも好きだった。しかし、今回はワクワク感が全くなかった。オープニングに限らず、マスクをしており、声も出せないという状況もあるかもしれないが、それを差し引いてもやはりワクワク感は薄かったように思う。

 オープニング曲は、ツアーがなかったアルバム「SOUNDTRACS」のリード曲「Brand new planet」。どちらかと言えば、静かなオープニング。「youthful days」があり、「海にて、心は裸になりたがる」。声が出せない状況でこの曲は辛い。「innocent world」は大好きな曲だが、半音下げ、そして、この位置での披露はあまり高揚しない。「Replay」、「Any」と久しぶりに聴く曲が続く。全体的に、久しぶりに聴く曲が多かった。つまり、僕の車のプレイリストに入っていない=あまり好きではない曲が多かった。

 花道の前方に来て、「くるみ」と「僕らの音」。「くるみ」は大好きな曲で、ライブアレンジも多彩だ。今回もまた違うアレンジだった。桜井さんも好きな曲なのだろう。一番の終わりの高音がとてもきれいに出ていたあたり、声の調子は良かったのだろう。

 

 その後は、僕があまり好きではない曲が続いた。「Tomorrow never knows」は嬉しかったが、その流れの中ではあまり興奮しなかったし、やはり「oh oh」を歌いたい。本編は全21曲。珍しく歌い出しの歌詞を間違え、やり直した「GIFT」で終了。

 アンコールは2曲。「Your Song」のギター弾き語りと、新曲「生きろ」。個人的には、ギター又はピアノと桜井さんだけの演奏が好きだ。「Your Song」は正直、あまり好きではないが、弾き語りで聞くといいなと思った。弾いてみよう。

 

 開演前もぎりぎりに会場に到着したため、ツアーグッズを買えず、終演後も長蛇の列だったため、諦めた。初めて、ツアーグッズを会場で買えなかった。こうして年を取っていくのだろう。

 序盤で桜井さんが、「このセットリストは今日だけです」と言っていたので、24日のセットリストも見てみたが、24日の方が僕にとっては断然良かった。僕が好きな曲のうち、未だ生で聴いたことのない「Over」を歌っている。「Replay」よりも聴きたかった…

 

 期待したツアーだったが、完全に期待外れ。コロナ禍でなくても、選曲を考えると、25周年には勝てない。でも、5月発売のベストアルバムが楽しみだ。Live盤のラインナップが素晴らしい。

 次回はそれについて記そうと思う。

プーチンのノスタルジック・ウォー?

 ロシアによるウクライナ占領はもっと早く済むと思っていた。おそらく、プーチンを含むロシア首脳部もそう考えていたであろう。作戦の全容など知る由もないが、当初の予定どおりに進んでいないのではないのだろうか。今のロシアの動きは焦りを感じているようにも見える。

 

 さて、ウクライナ侵攻が始まって以来、様々な人たちが様々な立場で声を上げている。ネットニュースに対するコメントも、1,000件を超えることも珍しくない。中には、ロシアの戦略やウクライナ情勢について詳しく分析しているコメントもある。僕はそれを見ながら、ロシアやウクライナに詳しい人ってそんなにいるの?という違和感を覚えている。アメリカや中国ならともかく、ロシアやウクライナに詳しい日本人なんてそうそういないだろうと思う。勿論僕も全く詳しくない。おそらく、ほとんど誰かの受け売りだろう。そんなことが容易にできるのがネットの世界だ。

 

 そんな中、興味を引いたのが今週の火曜日(3/1)と水曜日(3/2)に熊本日日新聞に掲載された、元NHKディレクターの馬場朝子氏の「混迷のウクライナ」と題する寄稿である。氏は、モスクワ国立大学を卒業し、NHKに入局、ロシアにもウクライナにも友人がいるという。このような現地感覚がわかる人は日本にほとんどいないため、大変興味深く読んだ。

 氏によれば、プーチンにとってのウクライナは「いつまでも自分の弟分であり、ロシアと歩調を合わせる存在でなければならない」ということである。これは、ロシアとウクライナが、ルーツを辿れば同じ国であり、文化的にも似通っており、そして勿論、ソ連時代には一つの国だったことから、そのような認識をしていると推測している。これが的を射ているのなら、今回のウクライナ侵攻はNATO云々ではなく、プーチンが単に再び、ウクライナと一つの国でありたいという思いに駆られた行動ということになる。ただ、NATOの影響もゼロではなかろう。僕は初めて知ったのだが、ウクライナは近年、親西欧の政権が何度か成立し、ヨーロッパに近づきたがっているのだという。冷戦後のNATOの役割は、西欧的なるものを東欧に浸透させることが狙いの一つでもあるという。NATOの東方拡大により、ロシアの周囲からロシア的なるものがどんどん失われ、ウクライナまでそうなってきたことがプーチンにとっては許せなかったのかもしれない。

 「かつては自分の家族であった者が、家族を捨て、別の家族に入ろうとしている」ープーチンはこのような思いに駆られ、行動を起こしたのかもしれない。その意味で言えば、今回の侵攻はプーチンのノスタルジックな思いに駆られた行動と言える。

 

 個人の考えや思想が戦争を引き起こすなんてば馬鹿々々しいことだと思うが、人間の戦争の歴史はこれに拠るものが数多くある。F.D.ローズベルトの極端な中国びいき、日本蔑視の考えは太平洋戦争につながった。だからこそ、独裁は危険であるし、リーダーの周囲には意見を言えるものがいないと、マシな組織にならない。

 故野村克也氏は阪神の監督になったとき、阪神のオーナーに向かって「”人間3人の友をもて”というじゃないですか。原理原則を教えてくれる人、師と仰ぐ人、直言してくれる人。オーナーには直言してくれる人がいないんじゃないですか。みんなオーナーが気持ちよくなる話しかしてこないでしょう。人間偉くなるとそうなるものです」と”直言”したという(『野村ノート』)。プーチンに直言できる人間は周囲にいるのだろうか。ヒトラーにはいなかった。スターリンにもいなかった。安倍晋三にもいなかった。果たして…

ウクライナ侵攻に思う

 ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。

 大国による他国への武力介入は久しく行われていなかっただけに、「まさか本当に事を起こすなんて」と思っている人が多いことだろう。僕もその一人だ。脅し合いだけで終わると思っていた。しかし、いとも簡単に攻撃は開始された。第二次世界大戦後、長らく続いていた国際情勢が決定的に変わってきた。今後、ますます世界は混迷の時代に入っていくであろう。

 思えば、イギリスのEU脱退、アメリカのパリ協定離脱(その後復帰したが)、ロシア及び中国の長期政権化など、ここ5年ほどの世界情勢の動きは不穏なものになってきていると感じていた。国際秩序からの脱退や、個人による長期政権は第一次及び第二次世界大戦戦間期と似ている。このような小さな変化が少しずつ積み重なって大きな事件へと発展していくのが歴史の流れである。今回のウクライナ侵攻も、おそらく短期間で終わると思うが、1938年のナチス・ドイツによるズデーテン地方編入の後、第二次世界大戦が起こったように、最悪の場合、第三次世界大戦へと発展する可能性がある。それはおそらく、アメリカの覇権にロシア・中国が挑戦するものになるだろう。そこに、北朝鮮、イランあたりも絡んでくるかもしれない。今のアメリカには、以前ほどの圧倒的な存在感はない。戦後長らく平和を享受してきた日本も試練の時代が来るかもしれない。

 

 さて、そもそも今回、ロシアがウクライナ侵攻を決断した理由として、プーチンは「NATOの不拡大確約を求めた提案をアメリカが退けたため」としている。ウクライナNATOの一員となっては、ロシアの安全保障が極めて危ういものであるということである。

 確かに、安全保障の観点から言えば、プーチンの言うこともわからなくもない。敵対する勢力が隣国にあれば脅威を感じるのは当然である。しかし、それはあくまでも口実で、ウクライナ侵攻はプーチンの構想の範囲内ではないかと思う。絶好の機会を与えただけに過ぎないと思う。

 また、NATOの目指しているものもわからない。勉強不足であるのは承知の上で書くが、NATOはそもそも冷戦期に発足した組織であり、ワルシャワ条約機構が解散したように、冷戦の終結と同時にその役目を終えなければならなかったはずである。現在も存続し、東方拡大している時点でロシアを刺激するのは自然な流れであり、今回の事態は、NATO(主にアメリカだろうが)自身が招いた事態だとも言えるのではないだろうか。

 

 人間は弱い生き物であるが故に強く見せようとする。軍隊を組織し、核兵器を保持し、国際軍事組織を発足させ、加盟する。強いということを誇示したい生き物だ。弱さを曝け出して「自分は強くない、だから、手を取り合って生きていこう」ということを世界中の誰もが言えるようになればいいのだが、それはかなり難しいことである。

 

 数日後、世界地図が変わるのをまた目撃することになるかもしれない。