不登校生の増加と学級という組織

 全国のほとんどの学校で2学期(あるいは前期後半というのだろうか)が始まったと思う。僕が勤める学校も8月下旬に登校が再開された。

 

 ところで、夏休み明けのこの時期は近年、明るい話題よりも暗い話題が多い。毎年のように、日本のどこかで児童生徒の自死があるからである。児童生徒の自死数は、一年間のうち、この時期が最も多いのだという。約一か月、学校に行っていない児童生徒が再び学校に、教室という空間に行くことに恐怖を覚えるからである。親からすれば、自分の子どもが自死を選ぶということは、言葉にならないくらい悲しいことであるが、子どもの気持ちもわからなくもない。僕も中学生のときは似たような気持があったからである。そのくらい、教室という空間には特別な空気がある。

 また、自死まではいかないまでも、夏休み明けに不登校になるパターンもある。実際、僕が勤める学校でも、夏休み明け以降、欠席数が増えた。これは勿論、自分の学校に限ったことではなく、日本全国の学校に見られる傾向であろう。

 

 近年、不登校に対して寛容な空気が生まれ、学校に(又は教室に)戻らなくてもいいという風潮になってきた。このような流れは僕としては歓迎すべきものであるのだが、毎年増加の一途をたどる不登校児童生徒の割合を見ていると、学校の、少なくとも学級というシステムは時代にマッチしていないのではないかと思えてきた。

 

 もし、学級という組織を作らなければ、不登校生は劇的に減少するのではないかー僕はたまにそう思うことがある。

 勿論、学級に対して帰属意識をもっている児童生徒も多く、学級の団結力や絆が子供の成長に寄与している部分はある。しかし、集団に馴染めない、周囲のことが気になる子供にとっては学級という空間は相当居心地が悪く、ストレスが溜まる場になるだろうとも思う。そもそも、1学級を40人(又は35人)とし、一斉に授業するスタイルが現代という時代にそぐわないことは多くの識者が語っている。僕自身も久しぶりに学校現場に復帰してみて、「主体的•対話的で深い学び」を実現するには、40人学級では到底無理だろうと思う。

 だから思い切って、学級という組織をなくし、もっと自由に、気楽に子供たちが学校に通うことができたらと思うが、そのための良い案というのはそう簡単には思い浮かばない。

 

 「学校って何のために行くの?」ー昔から多くの子どもが疑問に思ってきたことである。多くの人は「勉強するため」という答えを返すが、僕は子供に聞かれたら、「社会性を身に付けるため」と返してきた。勉強だけなら学校に通わなくても一人でできる。むしろ、一人の方が効率が良い。では、なぜわざわざ集団の中で生活するのかというと、世の中にはいろいろな人間がいることを知り、いろいろな人間とそれなりにうまくやっていくことを学ばなければならないからである。それが社会に出てから必要な力である。僕はずっとこう思ってきた。

 しかし、コロナ禍もあり、日本人の働き方は変わってきた。これまでのように、職場で集団で仕事をするということは今後、ますます減っていくのかもしれない。自宅にいながら、PC等を使って個人で仕事をすることがもっと増えるのかもしれない。そうなったときに、子どものときにわざわざ、教室という息苦しい空間に通うことの意味って何なのだろうかと思う。

 

 もしかしたら将来、学校に通うことも選択制になり、今よりもっと自由な学びがなされるかもしれない。そうなるには多くの人と労力と莫大な予算が必要になるのであるが、少しずつでも変わっていくことを願う。というか僕はそういう仕事に携わりたい。学校という制度は、世の中の変化に比べ、昔とほぼ変化のない原風景のようなシステムなのだ。