安倍元総理狙撃事件の衝撃

 令和4年7月8日(金)、安倍元総理が奈良市内で演説中に狙撃された。これを書いている時点では「心肺停止」という報道だが、それは概ね「死亡」を意味する。我が国において、大物政治家が狙撃されることは明治~昭和戦前期においてしばしば起きていたが、この令和の時代に起きるというのは異常としか言いようがない。ロシアによるウクライナ侵攻も帝国主義時代のような出来事であるが、この事件もまた、時代を100年以上遡ったかのような事件である。ウクライナ侵攻と今回の事件は全く関係のないものであるが、不穏な時代になってきていると思わざるを得ない。

 

 僕が事件の一報を聞いて真っ先に思い浮かべたのは、板垣退助である。板垣は明治15年岐阜県にて演説を終えた後、刃物で刺された。また、その外にも明治42年伊藤博文、大正10年に原敬昭和5年浜口雄幸昭和7年犬養毅などの大物政治家が凶弾に斃れた(浜口は狙撃の翌年に死亡)。特に昭和に入ってからは、一部の軍人の意向と異なった政策をしようとした政治家はテロの標的となった。昭和戦前期の迷走を象徴する流れである。

 

 安倍元総理は、我が国の歴代総理の中で最長の在任期間を誇る。この記録は早々破られないであろう。その期間、様々な政策を実行したが、特に在任末期は評判の悪いものが多かったように思う。未だ、グレーな部分を残しているものが多く、後世の歴史家が安倍政権期をプラスに評価することはないかもしれない。国家レベルで見れば、大仕事をした感じはあるが、国民個人レベルでは、納得がいかない政策や手法が多かったと思う。今回の事件を起こした者が、何を思って元総理を狙撃したのか現段階で明らかになっていないが、個人的な恨みを感じていた可能性はある。はたまた、単に有名人を狙撃することでヒーローになりたかっただけかもしれない。

 

 近年、現代は「予測不可能な時代」や「先の見えない時代」であると言われる。僕はそういう言葉を耳にしたとき、それは今に限ったことではなく、いつの時代もそうだったじゃないかと思う。逆に言えば、予測が可能な時代なんてあったか?と思う。自然災害はいつ起こるかわからないし、未知のウイルスもいつ発生するかわからない。近年、たまたまそういうことが続いているだけで、それは今に限ったことじゃないだろうと思っていた。そういう言葉を盛んにマスコミや識者が言うことで人々の不安を煽っているだけだろうと思っていた。

 確かに、中国の台頭とともに世界情勢は不安定なものとなってきており、科学技術の発展は我々の生活を大きく変えてきている。また、日本の物価は上昇を続け、貧しい国になってきている。安定した職に就き、給料を貰って、子供を育て、家を買い、老後を迎えるだけの時代は終わったのかもしれない。

 そんな時代に自分ができることは自己防衛である。惰性で生きずに、積極的に情報を収集し、自己実現、資産形成をしていく。それを着実にしている者こそが将来生き延びることができるのかもしれない。