プーチンのノスタルジック・ウォー?

 ロシアによるウクライナ占領はもっと早く済むと思っていた。おそらく、プーチンを含むロシア首脳部もそう考えていたであろう。作戦の全容など知る由もないが、当初の予定どおりに進んでいないのではないのだろうか。今のロシアの動きは焦りを感じているようにも見える。

 

 さて、ウクライナ侵攻が始まって以来、様々な人たちが様々な立場で声を上げている。ネットニュースに対するコメントも、1,000件を超えることも珍しくない。中には、ロシアの戦略やウクライナ情勢について詳しく分析しているコメントもある。僕はそれを見ながら、ロシアやウクライナに詳しい人ってそんなにいるの?という違和感を覚えている。アメリカや中国ならともかく、ロシアやウクライナに詳しい日本人なんてそうそういないだろうと思う。勿論僕も全く詳しくない。おそらく、ほとんど誰かの受け売りだろう。そんなことが容易にできるのがネットの世界だ。

 

 そんな中、興味を引いたのが今週の火曜日(3/1)と水曜日(3/2)に熊本日日新聞に掲載された、元NHKディレクターの馬場朝子氏の「混迷のウクライナ」と題する寄稿である。氏は、モスクワ国立大学を卒業し、NHKに入局、ロシアにもウクライナにも友人がいるという。このような現地感覚がわかる人は日本にほとんどいないため、大変興味深く読んだ。

 氏によれば、プーチンにとってのウクライナは「いつまでも自分の弟分であり、ロシアと歩調を合わせる存在でなければならない」ということである。これは、ロシアとウクライナが、ルーツを辿れば同じ国であり、文化的にも似通っており、そして勿論、ソ連時代には一つの国だったことから、そのような認識をしていると推測している。これが的を射ているのなら、今回のウクライナ侵攻はNATO云々ではなく、プーチンが単に再び、ウクライナと一つの国でありたいという思いに駆られた行動ということになる。ただ、NATOの影響もゼロではなかろう。僕は初めて知ったのだが、ウクライナは近年、親西欧の政権が何度か成立し、ヨーロッパに近づきたがっているのだという。冷戦後のNATOの役割は、西欧的なるものを東欧に浸透させることが狙いの一つでもあるという。NATOの東方拡大により、ロシアの周囲からロシア的なるものがどんどん失われ、ウクライナまでそうなってきたことがプーチンにとっては許せなかったのかもしれない。

 「かつては自分の家族であった者が、家族を捨て、別の家族に入ろうとしている」ープーチンはこのような思いに駆られ、行動を起こしたのかもしれない。その意味で言えば、今回の侵攻はプーチンのノスタルジックな思いに駆られた行動と言える。

 

 個人の考えや思想が戦争を引き起こすなんてば馬鹿々々しいことだと思うが、人間の戦争の歴史はこれに拠るものが数多くある。F.D.ローズベルトの極端な中国びいき、日本蔑視の考えは太平洋戦争につながった。だからこそ、独裁は危険であるし、リーダーの周囲には意見を言えるものがいないと、マシな組織にならない。

 故野村克也氏は阪神の監督になったとき、阪神のオーナーに向かって「”人間3人の友をもて”というじゃないですか。原理原則を教えてくれる人、師と仰ぐ人、直言してくれる人。オーナーには直言してくれる人がいないんじゃないですか。みんなオーナーが気持ちよくなる話しかしてこないでしょう。人間偉くなるとそうなるものです」と”直言”したという(『野村ノート』)。プーチンに直言できる人間は周囲にいるのだろうか。ヒトラーにはいなかった。スターリンにもいなかった。安倍晋三にもいなかった。果たして…