英断に感謝

 センバツの中止が決まった。高野連にとっては、苦渋の決断であっただろうが、この状況にあっては

中止しか選択肢はなかった。もし、開催することにしていたら、野球離れはさらに進んだだろう。野球好きの人間として、今回の英断に感謝したい。

 

 今回の決定に関して、様々な意見が見られる。僕と同じような人もいれば、「高野連同調圧力に屈した」、「開催の可能性を示しておきながら中止にしたのは酷だ」、「屋外スポーツは感染の可能性が低いから開催すべきだった」など、様々だ。

 

 僕としては、この決定が遅いとも思わないし、最終的にこうなることを望んでいただけにホッとしている。球児たちが可哀想だという人もいるが、他の競技の選手だってそうだし、あるいは、一生に一回のこの時期にしかディズニーランドに行けなかった人もいるかもしれない。何が大切かなんて、個人の価値観次第である。球児たちにとっての甲子園が、余命僅かな人のディズニーランドだったかもしれない。野球だけ開催したところで、同級生たちから妬まれるだけである。野球部が他の部活動に比べて優越性があるわけでない。あくまでも、高校の部活動の一つなのだ。

 

 高野連としては、決定を先延ばしすることで、事態が少しは収まることを期待していたのだろう。しかし、収まるどころか拡大し、自粛要請も延長され、プロ野球も開幕延期になった。プラスの判断材料が一つもなかった。仕方ない。

 

 まだ、センバツで良かったと思う。夏なら、もっと球児たちは悔しかっただろう。今回出場出来なかった学校を夏に出場させてあげるべきだという意見もあるが、センバツ出場は秋の戦績を参考にしており、2年秋の戦力と3年夏の戦力は大きく異なる。仮に出場権を確約すると、他の学校から不満の声が上がるだろう。そもそも、今の状況では夏の予選開催すら雲行きが怪しくなってきた。この状況にあっては、救済策は難しいと思う。

 

 これだけの騒ぎになったことから、高校野球の注目度は特別であることが改めて明らかになった。これを機に、高校野球や甲子園の在り方も見直していくべきではないだろうか。何度も書いてきたように、野球は数あるスポーツの中の一つに過ぎないのだから。