卒業式を無意味だと思う子どもたちへ

 コロナウイルスの感染拡大を受け、あらゆるイベントや行事が規模縮小や中止になっている。この時期の日本における恒例行事である学校の卒業式もその一つだ。

 

 学校が休校となっている中、卒業式だけは実施している学校は多い。児童生徒にとって、大事な行事であり、大きな節目であると思われているからだろう。

 

 僕にしてみれば、感染拡大防止のために休校にしているのなら、卒業式すらしなくていいと思う。

 

 僕は、教員という仕事をしていながら、子どもの頃、学校があまり好きではなかった。特に、中学校は嫌いだった。いつも、教室の隅の方で過ごしていたし、学校行事など苦痛で堪らなかった。軽いイジメのようなものにもあっていたので、どうしても学校に行きたくない日は親に嘘を言って休んだこともあった。それでも、不登校にならなかったのは、勉強はしなければならないと思っていたのと、親に申し訳ないと思っていたからである。そんな僕が学校生活から学んだことは「耐えること」である。嫌なことや辛いことがあっても、とにかく耐えることーそれはその後の人生でも活かされていると思う。

 

 僕のような気持ちで学校生活を過ごしている子どもは今もいるだろう。そのような子どもにとって、休校というのはとても嬉しく思うと同時に「卒業式だけなぜあるのだろう」と思うと思う。聞きたくもない偉い人の話を聞いて、誰もがもらえる証書をもらって、大して仲の良くない、そして、この先会うことのないクラスメイトに別れを告げる。そんな一日に何の意味があるのだろうと思うだろう。所詮、全ての学校行事は、いわゆる「イケてる人たち」が目立つ機会なのだ。節目だと言う人もいるが、学校に行かなくなることで卒業したことは充分に実感できる。学校やクラスに思い入れのない人間にとって、何の意味もない行事だと思う。

 

 もちろん、こういう子どもは少ない方だろう。しかし、こういう子どもがいることも間違いない。

 

 学校が面白くなかった子どもたちに言いたい。学校に行く期間なんて、人生の長さに比べれば、とても短い。今、辛いかもしれないが、周りからどれだけ馬鹿にされようが、学校以外の時間に自分が熱中できる何かに夢中になっていれば、将来必ず役に立つ。そのときに見返せばいい。どちらの人生がより価値があるものかは人生が終わるときに判断すればいい。今、君たちが過ごしている時間や場所に比べ、人生は長く、世界は広いのだと。