学校と家庭の役割とは

 前回の記事で不登校のことを少し触れたので、今回はそれについて。

 

 不登校にはネガティブなイメージがつきまとっていたが、近年は「学校に行きたくないなら行かなくていい」という風潮になってきた。辛い思いをして学校に行き、最悪の場合、命を絶ってしまうなら、無理をして行かなくてもいいという考えからだろう。

 

 こうなると楽になるのは、子どもや保護者は勿論、その生徒の担任もである。自分の学級に不登校の生徒がいれば、日々の電話連絡や家庭訪問、学習支援などの業務が発生し、何とか学校に登校するように動かなければならない。登校できるようになることが目標でなくなるなら、担任としては精神的に随分楽になる。もっとも、これまでも、登校できるようになることを目標にしつつも、それが実現できたことは限りなく少ないだろう。一度、不登校になった場合の再登校は、子どもにとってハードルがかなり高い。

 

 不登校の原因は様々である。学校でイジメにあって不登校になる生徒もいれば、家庭での生活リズムが狂い、不登校になる生徒もいる。

 しかし、大いに批判があるかもしれないが、共通するのは、家庭の状況であると思う。これは僕の経験上、そう思う。もっと具体的に言うならば、両親の仲が円満であり、親として子どもに然るべき接し方をしていれば、不登校にはならないと思う。これが欠如している場合ー例えば、親が離婚していたり、離婚せずとも険悪な関係であったり、褒めるべきときに褒めてあげなかったり、叱るべきとに叱らなかったりする場合ーは、子どもに何かあったとき不登校になる。子どもは、自分が苦しいときに親の愛情を求めているのであり、親に何とかしてほしいのである。

 

 学校で起こることはクラスメイトや学校のせいだと思っている親は子どもの変化に苦しみ、将来も自立できない子どもになるかもしれない。人との関わり方や、集団の中での過ごし方の価値観を教えるのは親である。それをしっかり教えていれば、学校でトラブルが起こりそうなときに、それに巻き込まれないようにする正しい判断ができる。共働きの家庭が増え、親も忙しくなったが、子どもを育てるのは学校ではなく親であり、子どもは親の鏡であるのだ。

 

 こういうふうな言い方をすると、じゃあ、教員の役割は何なんだと言う人もいるかもしれないが、教員の役割は勉強を教えることである。教員が子どもに関わる期間は小学校なら長くて6年、中学校なら長くて3年であり、担任は毎年変わる可能性もある。基本的な考えを躾るのは親に他ならない。

 

 近年、学校の役割は肥大し、学校現場は悲鳴を上げている状態である。数年前から教員のブラックぶりが取り沙汰されるようになったが、残念ながら、根本的な解決は難しいだろう。社会システムが、学校に頼らざるを得ない状態になってきている。

 しかしながら、どこかで大きな決断をしないと、学校現場はますます疲弊し、教員志望者は減る一方である。小手先の改革ではなく、抜本的な改革が必要だ。

 学校教育の中で今まで当たり前にあったことを変えることーそのような改革が今、求められている。