『日の名残り』を読んで

 カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んだ。この作家の作品を読んだのは2冊目だ。1冊目は『わたしを離さないで』。この作品がとても印象的だったので、ブッカー賞受賞作も読んでみた。

 

 率直な感想を言えば、『わたしを離さないで』同様、おもしろかった。まず、文体が美しい。訳文が優れているのか、原文が優れているのか、あるいはその両方なのかわからないが、非常に落ち着いて読める。特に本作は執事の言葉遣いが大変丁寧であるため、文章の美しさが際立っている。

 次に、扱っているテーマだ。主人公の執事、スティーブンスは小旅行をしながら、在りし日々に思いを巡らす。その中で「自分は執事としての品格はあったのか」と何度も自問自答する。スティーブンスにとっての執事の品格、それはまさに人生の意味だ。自分の仕事に意味はあったのか、正しい判断をしてきたのかーそう悩むスティーブンスに、最後の場面、海で出会った男は救いの言葉を掛ける。非常に印象的なシーンだった。

 また、読みながら考えていたのは、執事を主人公にした作者の意図だ。執事というのは勿論、人間であるが、仕事をする上で、人間の感情を持ってはならない。主人の言うとおりに忠実に仕事をこなすだけだ。仕事中に父親が倒れても、政治的な意見を求められても、密かに想いを寄せる人が結婚しようとすることを知っても、仕事中であれば感情を出すことはできない。忠実に仕事をこなすだけだ。それはまるでロボットのようである。人間でありながら、仕事中はロボットの思考になるのである。その一方で、主人や、主人の客、そして同じ館に勤める女中は人間らしく感情を顕にする。つまり、作者は執事というロボットのような人間を主人公にすることで、人間について描こうとしたのかもしれないと思った。ロボットと人間の問題をテーマにしたのは、今思い出すのは、スピルバーグの「A.I.」、そして、「ドラえもん」や「鉄腕アトム」もそうであるのだが、もし、執事をロボットと見なし、本作を書いたのだとしたら、その発想に感嘆するしかない。

 

 『わたしを離さないで』も、クローンを題材にし、人間と科学の問題を扱っている。実は僕はあらゆる純文学を読む中で、今後の純文学のテーマはクローンというのは避けて通れないだろうと思っていた。そんなときに『わたしを離さないで』を読んだから大変衝撃を受けた。既に扱われていたのかと。

 

 最後におこがましくも、タイトルの訳について書かせてもらう。僕は英語は全く詳しくないのだが、原題のdayをそのまま「日」と訳すところに違和感を持った。あまりにも直訳ではないかと。

 例えば、『在りし日の名残り』とか『追憶の中に生きて』みたいな方が日本語として良い気がした。まぁ、翻訳のプロが考えたタイトルに偉そうなことは言えないが。

 

 他の作品もぜひ読んでみよう。