夢の舞台は、感動を呼ぶのは甲子園だけじゃない

 かつて、異動直後に野球部の保護者会に呼ばれたときに、「野球部の顧問をするのは久しぶりですのでとても嬉しく思っています」というような挨拶をしたら、「先生は前の学校で何部の顧問だったんですか?」と聞かれ、「バドミントン部です」と答えたら、保護者の間で笑いが起きた。

 僕はそのときに正直ムッとしたのだが、保護者(全員、父親だった)の気持ちは容易に理解できた。バドミントンをバカにしているのだ。野球より格が低いスポーツだと思っているのだ。

 

 実は僕もバドミントン部の顧問になったときは落胆した。しかし、顧問になって初めて大会に参加したとき、各校の選手たちのひたむきな表情やプレーに心を打たれ、爾来僕はそれなりに熱心に顧問としての仕事に取り組んだ。そして、バドミントンというスポーツがとても好きになった。

 

 先日の地元紙に「高校野球は感動するスポーツなので無観客でも開催してほしい」という旨の投書があった。70代の男性だった。この男性は、野球部の保護者と同じように、野球を核の高いスポーツと思っており、野球以外のスポーツはあまり見たことがないのだろうと思う。

 

 スポーツに限らず、人間が何かに懸命に取り組む姿は美しく、感動を呼ぶ。日本のスポーツの場合、長らく、それは野球であったため、野球こそが美しく、感動を呼ぶスポーツだと思っている人がいる。しかし、当たり前のことだが、野球以外にもそれは多くある。サッカーにだって、ラグビーにだって、剣道にだってある。一生懸命な姿には、たとえ、そのスポーツのルールを知らなくても感動するのだ。

 

 あまり知られてないことだが、毎年3月には野球以外の高校スポーツの選抜大会が開催されている。テニス以外は既に中止の決定をしていたが、ついにテニスも中止の決定を下した。これで、この時期に開催される高校スポーツの全国大会で、開催される可能性があるのは野球だけとなった。

 

 この状況を考えても、中止しかない。休校中の学校で練習しているのもおかしい。高校野球は、高校の部活動である。甲子園が特別というのなら、高校という枠に入らないチームのみ出場させるしかない。もちろん、そんなチームは今のところはない。高校の部活動である以上、開催は考えられない。もし高野連が開催するというのなら、辞退する学校が出てきてほしい。

 

 誤解されたくないのだが、僕は野球が好きだ。今回のセンバツも楽しみにしていた。明石商業や仙台育英、岐阜商業などは見たい。しかし、この状況にあっては中止しか選択肢はない。今後の日本の野球界が、国際社会の中での野球と同じような扱いにならないよう、公正な判断を望む。