教員免許更新制廃止報道に思う

 教員免許更新制が廃止されるという。

 更新制の在り方について議論が始まったときから、何かしらの負担減にはなるだろうとは思ったが、廃止とは思い切ったなというのが正直な感想だ。

 だが、数日前から予感はあった。7月5日の会議資料が文科省HPで公開されているが、更新制に肯定的な資料が一つもなかった。これは廃止の流れじゃないかと思っていたところ、今日の報道である。予感的中というわけだ。そして、大歓迎である。

 

 僕も一度、更新講習を受講し、免許更新をしたことがある。しかし、講習受講前と同様、何の意義も感じなかった。金と時間の無駄だと思った。

 勿論、教員も知識やスキルをアップデートしていくことは必要だ。しかし、スキルについては経験によって身についていくし、知識は教育委員会等が主催する研修で身についていく。現場を知らない大学の先生が講習を担うというシステムがおかしい。

 

 制度開始から10年あまりでの方向転換というのは、国がする施策としては、制度設計として杜撰だったと言わざるを得ない。制度導入に伴う負の側面は予想できたことである。もっと議論を重ねてほしかったと思う。

 しかし現在、制度を作る立場にいる僕としては、文科省の立場がわからないわけでもない。影響力の強い人間が言い出した施策は、時間的余裕がないまま、十分な議論が尽くせないまま、決定事項となることがある。だからこそ、リーダーには柔軟性かつ広い視野が必要なのであるが、全ての組織に優れたリーダーがいるわけではない。

 優れたリーダーがいる組織の決定事項はその組織を豊かにし、そうでないときは災難となる。リーダーの資質というのは、本当に大事であると、近頃よく思う。

 

9月入学論は長期的な視野で

 新型コロナウイルス感染の波は徐々に落ち着きを見せ、昨日、全都道府県の緊急事態宣言が解除された。それに伴い、全国の学校も来月からほぼ再開されるのではないだろうか。詳しいデータはないが、本県は来月からの再開を決めている。

 

 さて、そんな中で気になるのは9月入学論だ。おそらく、来月から学校から再開されれば、夏休みなどの短縮を条件に、学習の遅れを取り戻すことは可能であるだろうから、この議論はなくなっていくだろう。意見が出始めた当初は歓迎のムードが大きかったが、感染者の減少と相まってデメリットばかりが指摘されるようになり、このタイミングで制度変更すべきという潮流ではなくなってきた。

 

 確かに、9月入学への移行はメリットよりもデメリットが多い。それは議論される前からわかっていたことである。ただ、僕が感じるのは、移行賛成派と反対派では視点が全く異なるということである。

 反対派はとにかく細かいことを指摘しがちである。教員や教室が一時的に不足するとかならまだわかるが、教科書の季節感と合わなくなるとか、同じ年に生まれたのに学年が違うのが不公平とか言っている。そんなことははっきり言って問題点ですらない。慣れていけばいい話である。ヒステリックに反応している部分すらある。

 一方、賛成派は大きな歴史の流れの中で捉えている。小池都知事は「ペストの後にルネサンスが起こった」と言い、吉村府知事は「今しなければ、この先できない」と言った。二人とも、政治家らしい大局的な発言である。

 僕はどちらかと言えば、賛成派だ。反対派は今すべきではないと言うが、僕も吉村府知事と同じように平時では実現不可能だと思う。また、これを機に、日本の教育そのものを変えるきっかけにしてほしい。昨今、学校現場の過酷な実態が明らかになっており、働き方改革の波が少しずつ出てきているが、現場はほぼ変わっていない。おそらく、今後も変わらないだろう。しかし、制度を変えることで、教育現場が変わるきっかけになるはずである。僕はそれを期待している。授業や評価、学校行事、部活動の在り方ーこういったものは制度が変われば、その在り方を議論する必要に迫られる。そこで、変えてほしいのだ。学校現場の先生方が生き生きと誇りを持って働けるように。

 

 いつの時代も人々は変化を嫌い、現状維持を望む。しかしながら、人間の世というのは、自ら主導して世の中を変化させることもあれば、制御できないものによって変化させられ、それに慣れてきた歴史もある。人間は順応できる生き物なのだ。

 

 議論はおそらく縮小していくことと思うが、長期的な視野で実現することを願う。

『日の名残り』を読んで

 カズオ・イシグロの『日の名残り』を読んだ。この作家の作品を読んだのは2冊目だ。1冊目は『わたしを離さないで』。この作品がとても印象的だったので、ブッカー賞受賞作も読んでみた。

 

 率直な感想を言えば、『わたしを離さないで』同様、おもしろかった。まず、文体が美しい。訳文が優れているのか、原文が優れているのか、あるいはその両方なのかわからないが、非常に落ち着いて読める。特に本作は執事の言葉遣いが大変丁寧であるため、文章の美しさが際立っている。

 次に、扱っているテーマだ。主人公の執事、スティーブンスは小旅行をしながら、在りし日々に思いを巡らす。その中で「自分は執事としての品格はあったのか」と何度も自問自答する。スティーブンスにとっての執事の品格、それはまさに人生の意味だ。自分の仕事に意味はあったのか、正しい判断をしてきたのかーそう悩むスティーブンスに、最後の場面、海で出会った男は救いの言葉を掛ける。非常に印象的なシーンだった。

 また、読みながら考えていたのは、執事を主人公にした作者の意図だ。執事というのは勿論、人間であるが、仕事をする上で、人間の感情を持ってはならない。主人の言うとおりに忠実に仕事をこなすだけだ。仕事中に父親が倒れても、政治的な意見を求められても、密かに想いを寄せる人が結婚しようとすることを知っても、仕事中であれば感情を出すことはできない。忠実に仕事をこなすだけだ。それはまるでロボットのようである。人間でありながら、仕事中はロボットの思考になるのである。その一方で、主人や、主人の客、そして同じ館に勤める女中は人間らしく感情を顕にする。つまり、作者は執事というロボットのような人間を主人公にすることで、人間について描こうとしたのかもしれないと思った。ロボットと人間の問題をテーマにしたのは、今思い出すのは、スピルバーグの「A.I.」、そして、「ドラえもん」や「鉄腕アトム」もそうであるのだが、もし、執事をロボットと見なし、本作を書いたのだとしたら、その発想に感嘆するしかない。

 

 『わたしを離さないで』も、クローンを題材にし、人間と科学の問題を扱っている。実は僕はあらゆる純文学を読む中で、今後の純文学のテーマはクローンというのは避けて通れないだろうと思っていた。そんなときに『わたしを離さないで』を読んだから大変衝撃を受けた。既に扱われていたのかと。

 

 最後におこがましくも、タイトルの訳について書かせてもらう。僕は英語は全く詳しくないのだが、原題のdayをそのまま「日」と訳すところに違和感を持った。あまりにも直訳ではないかと。

 例えば、『在りし日の名残り』とか『追憶の中に生きて』みたいな方が日本語として良い気がした。まぁ、翻訳のプロが考えたタイトルに偉そうなことは言えないが。

 

 他の作品もぜひ読んでみよう。

夏の甲子園の行方は

 夏の甲子園は中止の可能性が高いという報道が出ている。国内の感染者が落ち着きを見せつつあり、緊急事態宣言が解除された地域もある中で、高野連にとっては、開催に向けて動いていると思っていただけに意外だった。

 

 しかし、そもそも、前にも書いたように、インターハイが中止になった時点で中止を発表しなければならない話である。組織が違うとか、都道府県大会の時期が違うとか、いろいろな意見も出ていたが、大会の開催時期は、8月中旬〜下旬とほぼ同じである。同じ時期にある、同じ規模の大会が、ある競技は開催して、ある競技は開催しないというのはおかしな話だ。異なる対応が取れるなら、開催は可能だが、移動や宿泊に伴うリスクは共通だ。「横並びの対応になる必要はない」とか「同調圧力」とか言う人もいるが、感染リスクという観点から言えば、横並びの対応しかできないのである。

 

 前にも書いたように僕は野球が好きである。好きだからこそ、野球が特別な対応をして、世論からの冷たい風当たりに晒されることを避けたいのである。ただでさえ、子どもの野球人口は減少している。時代錯誤な野球観は、その流れに拍車をかけることになる。高校3年生にとっては辛いだろうが、長い人生、目標にしていたものが失われることもあるものなのだ。

 

 横並びにする必要はない、と言っている人の中には、「横並びにするなら、サッカーやラグビー、バレーも中止にしろと言うのか」と言う人がいる。これらの競技は3年生が出場できる大会が冬にある。

 僕はそれは必要ないと思う。インターハイと甲子園は、同じ時期に開催されるから中止にすべきなのであって、冬に感染リスクがなくなっていれば開催していいと思う。論点が何かというのははっきりさせなければならない。

 

 高野連20日に決定すると言う。善処を望む。

9月入学論の議論はすべきだ

 9月入学論が一気に熱を帯びてきた。発端は宮城県知事の発言だろうか。多くの識者がコメントを出し、ネットでも賛否両論が見られる。

 

 休校の期限を繰り返し伸ばす中で、一つのスタート地点を示すのは誰にとってもいいことだと思う。しかし、先日も書いたように如何せんハードルが高い。単に、教育活動がストップしている学年をそのままずらせばいいという話ではない。

 

・9月までに収束する見込みがない

・学費の負担が増える

・児童生徒の学年の区切りをどうするか

・就職の時期をどうするか 

 

 など様々な課題がある。4月開始3月終了という年度単位で動いていることを根本から覆すことになる。容易ではない。

 また、次のような意見も見られる。

 「以前から議論していた話であり、様々な方面との調整が困難な話であるため、実現は不可能だ」「このような混乱時にやるべきではない」

 

 しかし、かつては必要性に迫られず、困難が多いため挫折しただけであり、逆にこのような時だからこそ、変えなければならないのだ。確かに、時間も十分とは言えない。想定している以上より多くの困難が伴うだろう。でも、議論はすべきである。たとえ、すぐには実現できなくても、今後しやすいように。それをやるのが、政治の役目である。

 だが果たして、他の問題を多く抱える政府にその余力があるのか…残念ながら、おそらくないだろう。

ピンチをチャンスに

 インターハイと全中の中止が決まった。高校3年生と中学3年生の部活生にとっての集大成となるはずだった大会が中止になったことは、本人にとってはもちろん、指導者、保護者にとっても辛いものだろう。どの時点で、どのように、気持ちの切り替えをするかはとても難しいだろうと思う。

 

 インターハイが中止になったことで、夏の甲子園の中止も免れないだろう。判断は5月20日とのことであるが、仮にその時点で収束が見込めるような状況になっていても、中止にすべきである。いや、明日にでも、中止を発表すべきである。以前も書いたように、野球は高校の部活の一つである。高校生や保護者の立場に立てば、野球だけ開催するのは許されない。もし、開催すれば、野球に対する世間の風当たりは強いものになるだろう。センバツを開催してほしいと言っていたのも、ほとんどが70過ぎの男性である。他の世代からはそれほど野球は支持されていないのだ。

 

 それにしても、センバツ開催の可否を議論しているときは、夏の開催には疑問を持っていなかった。ここまでの状況になってしまったのは、安倍政権の失政に尽きる。やることなすこと全て国民から批判を買い、リーダーとしての信頼を失っている。学校に例えるなら、学級崩壊の状態である。

 それでも、ようやく最近は自粛しようという動きは高まってきた。特に、この土日は報道を見ている限り、自粛の機運が高まっているように感じる。問題は、ゴールデンウィークだ。ここを我慢して収束を早められるか、我慢できずにダラダラと感染者数を増やすことになるか、日本国民の意識が問われている。

 確かに、今まで当たり前のようにできていたことができないのは辛い。しかし、皆で我慢すれば、その我慢の期間は短くなるのだ。日本経済へのダメージを少しでも減らすためにも、一致団結して我慢するときだ。

 

 話が逸れたが、教育界にこれだけの影響が出ている今だからこそ、制度や方法を見直すチャンスであるとも思う。まず、ネット上でも散見されているが、9月新学期制。国民民主党が検討グループを作ったらしいが、正直、実現のハードルはかなり高いと思う。しかし、大いに検討すべきであると思う。そして、部活動の在り方も。

 

 公教育に予算を投じず、現場の先生方の熱意によって何とか成り立ってきた日本の教育が今般、その脆さを露呈させた。

 これを機に、明治以来続いてきた日本の教育を根本的に変えるチャンスだと思う。それを実現するために、文科省そして、地方教育行政の手腕が問われている。

2年間の離職のあとに

 この2年間、学校現場を離れた理由は、前向きな言葉で言えば、違う環境で新しいチャレンジをしてみたかったからで、後ろ向きな言葉で言えば、学校の仕事に飽きていたからである。飽きたと言っても、採用されてから9年、臨時採用の期間を含めると15年程である。8年目か9年目の頃、先輩の先生に「学校の仕事に飽きたんですよね」と話したら、「10年くらいで何言ってたんだ。あと20年くらいあるんだぞ」と言われたことがある。

 だけど、僕が飽きたのは事実であり、それは僕の飽きっぽい性格もあるだろうが、それ以上に大きいのは毎年同じことの繰り返しだったからである。それは採用2校目から続いたサイクルだった。

 

 採用2校目と3校目は、小さな学校だったことで、僕の担当教科は僕以外にいなかった。学校にその教科の教員が一人しかいないということは、教科経営は思うようにできるのであるが、全ての授業を一人で担当せねばならない。学年一クラスしかない学校なら授業数はそれほど多くないのだが、2校目と3校目の学校はともに学年二クラスの学校であり、社会科の教員にとって最もきついと言われる規模だった。

 もちろん、そのような規模の学校は他にもたくさんあるし、多くの方がその学校の中での仕事をこなしているのを聞いていた。僕も、それをこなすことができた。しかし、本当にただこなしただけである。そこには、時間的・精神的余裕も、創造性もなかった。すべきことをただこなすだけーそんな日々だった。

 

 そんな状態が嫌になり、僕は学校を離れたいと思うようになった。僕はもともと社会科の授業がしたくて教員になったのに、毎年同じことの繰り返しで授業が全く楽しくない。新しいことを取り入れる余裕もない。加えて、学校現場の過酷さが少しずつ明るみになる中でも、何も変わる気配さえ感じなかった。ならば、一時的に離れてみようと思った。その間に、学校現場の労働環境は少しは改善され、僕も若い頃と同じように授業に対しての熱意を再びもつようになるだろうと。

 

 しかし、この2年間で学校現場は全く変わらず、僕の熱意は戻ることはなかった。それでも、期間限定で出向させてもらった身だから、期間満了とともに学校現場に戻らなければならないだろうと覚悟はしていた。

 そんな僕に言い渡された辞令は、県教育委員会勤務という驚くべき、そして昂ぶるものだった。