3度目の恐怖

 昨日18時10分頃、熊本地方を震度6弱地震が襲った。僕はそのとき家の近所をランニングしている最中で、揺れに気づかなかった。「何か様子がおかしい」と思ったとき、周囲の家が大きな音を立てて揺れ始め、スマートフォンから緊急地震速報のアラームがけたたましく鳴り響いた。初めて、屋外で経験した地震だった。

 

 家に戻った後、テレビを点けると、テレビ局は一斉にこの地震に関するニュースを報じていた。震度7の揺れが、わずか3日のうちに襲った平成28年熊本地震から約3年―世間の記憶のまだ比較的新しい中での震度6弱の揺れは、正月気分を一瞬で吹き飛ばし、緊急事態の雰囲気を作るには十分すぎる程だった。

 

 1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災の際の映像を見ていた僕にとって、自分が生きているうちに大災害に遭うことは全く想定していなかった。地震津波で自分の生活基盤が奪われることや、避難生活を送るということを遠い国の出来事のように思っていた。その思い込みは2年前、脆くも破られ、前述のように3日のうちに2度の恐怖を味わい(2度目の方が遙かに恐ろしかった)、しばらくの間、不便な生活を強いられることとなった。

 幸い、僕自身に、あるいは僕の周囲にそこまでの大きな人的被害や物的被害はなかった。地震から一ヶ月後には地震前と同じような生活ができるようになった。しかしながら、あの揺れは恐怖としか言いようがない。いつ来るかわからない、いつ終わるかわからないあの揺れは言葉では形容しがたい程の恐怖である。

 

 今回の揺れで不気味なのは、余震が少ないことである。通常、震度5以上の地震があった後は、余震が続くことが多い。しかし、昨夜以降、有感の揺れはおそらく一度もない。これが不気味だ。また2度目があるのではないかと思ってしまう。

 

 何に願っても、祈っても、どうしようもないことである。「そのとき」が来れば、また恐怖を味わうしかない。僕にできることは「そのとき」に備え、できる限りのことをやっておくことしかない。地球は活動し続ける惑星であり、現在、活動期に入っているのだから。でも、もし、何かに、誰かに祈れるものなら、どうかもう「そのとき」が来ないでほしいと祈りたい。