熊本城マラソン2020参加録 その4(レース後半編)

 飽田中学校前で、中学生から元気な声援をもらった付近で両足大腿部の痛みを感じた。
 これまでの練習では、27km〜28kmくらいで足が重くなりだしていたが、このときはまだ22kmくらいだった。明らかに早すぎる。この原因はハイペースで走っていることか、この天候か、あるいはその両方かわからなかったが、正直、直感的にまずいなと思った。
 長い飽田エリアを出て、漸く、知っている道に戻った。熊本港へと向かう道である。この道は海からの風も強く、周囲に何もないため、しんどいとは聞いていた。しかし、それは予想以上だった。結果的に、僕はこの区間でレースを諦めた。心が折れてしまった。強い海風、打ちつける雨、水はけの悪い走路に加え、見通しの持てない距離― この先に折り返し地点があるのは知っていたものの、どのくらい先かまでは知らなかった。さらに、尿意が襲ってきた。スタート直前にトイレに行ったにも関わらず、この天候のせいか、無視できないほどの尿意が襲ってきた。スタート前に比べ、明らかに気温は下がっているようだった。
 前向きになれる要素は何一つなかった。とにかく、次のトイレに行こう―そんな逃げの気持ちが僕を支配した。
 27km過ぎにあった仮設トイレに入り、用を足した。手が悴んで思うように動かず、時間を要した。そして、走っているときは気づかなかったのだが、シューズが浸水している。足の感覚がなくなってきたなとは思っていたものの、ここまで浸水しているとは全く気づいていなかった。ただでさえ、通気性の良いランニングシューズだ。この雨量で浸水を許さない筈がない。このシューズの状態で走ることなんて勿論初めてのことだった。

 

 トイレから出た後、再び走り出したものの、気持ちは前向きになれなかった。削減されたマイナス要素は尿意だけである。足の痛みも徐々に増し、ペースも落ちていった。
 ようやく迎えた折り返しの後は、追い風に変わった。ここから頑張ろうと思った。しかし、そんな気持ちとは裏腹にペースは落ちる一方だった。気持ちの上では前半と同じように走っているつもりなのに、表示されるペースは明らかに落ちている。4分台どころか、5分台にまで落ち込んだ。それが悔しくて堪らなかった。
 普通なら、そんな状態になっても頑張る人が多いのだろう。でも、この距離でのこの落ち方は想定外だったし、何より、いろいろな意味でのコンディションが悪すぎる。ここで頑張る必要があるのかと思った。
 大腿部のこの痛みが続くなら、もしかして、肉離れを起こしてしまうかもしれない。動けなくなって、大会のスタッフに世話になったり、妻に病院まで迎えにきてもらったりするのも申し訳ないと思った。つまり、そこまで無理して頑張るほどのものでもないのだ。歯を食いしばってまで力走する僕の姿を、誰かが期待しているわけでもないのだ。
 考えてみれば、僕という人間は初めてすることはうまくやれない人間だ。最初は必ず失敗し、その失敗を教訓に自分なりのやり方を考え、少しずつ上達していく。車の運転だって、教師という仕事だってそうだった。そう思ったときに、僕は走るのを止めた。沿道から「頑張れ!」という声が聞こえた気がしたが、頑張らなくてはならない理由は何もなかった。

 

 次々に僕を抜いていくランナーを見ながら、よくそんなに走れるなと呑気に思った。気持ちの余裕はあったし、笑うこともできた。
 やがて、3時間30分のペースセッターとその集団にも抜かれた。僕は目標タイムより随分速いペースだったことに気付いた。
 ずっと歩き続けるのもさすがにどうかと思ったので、走ってみたが、足が十分に上がらなかった。やっぱりダメだと思った。
 そして僕は、エイドを楽しもうと思った。食べる予定が全くなかったドーナツやバナナなどを食べた。それは、これまでに食べたドーナツで最も美味しいドーナツだった。
 それからの走路は、500m走っては500m歩くことの繰り返しだった。これまでは、膝への負担がかかる下り坂は嫌いだったが、下り坂というのは何と楽なんだろうと思った。熊本西大橋はもちろん、上り坂は全て歩いた。歩いていると感じないのだが、走っていると再び尿意が襲ってきたため、2回目のトイレにも行った。もはやタイムは気にしなかった。
 
 熊本城マラソンの名物である、ゴール直前の坂だけは走った。ただし、本当にラストの行幸坂だけである。そこを走る力は残されていた。そして、ゴール。タイムは3時間47分29秒。トイレのときのみ止めた僕の手元の時計は、3時間40分12秒。結構歩いたわりには、そこまで悪くないタイムだと思った。それだけ、前半のペースが速すぎたのだろう。
 結局、僕にはまだフルマラソンを走る力はついていなかったのだろうと思う。僕に完走することが可能だった距離は30kmくらいだったのだろう。フルマラソンを理想のタイムで走るには、まだまだ練習が必要なんだ。そんなに甘い話じゃないと思った。天候の影響もおそらくあるだろうが、それを言い訳にはせず、自分の実力不足、その一点のみを反省とすることにした。